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第二話 門出

 「三希様ーー!三希様ーーー!み・つ・き様!!どこですかーーー」
 声変わりがようやく始まった少年のかすれた声が思いきり叫ぶ声が野山に響き渡る。呼びかけに返事は無く助蔵は眉を一層たらし情け無い顔をした。 
 「早くしないと暗くなっちゃうじゃないか。帰れなくなっちゃうよー……もう、なんで三希様はいつも僕を置いてどこかへ行ってしまうんだ。付き人の役目、果たせないじゃないかぁ……」
 心細さから目に涙が溜まる。さらに、その場に座り込んでしまった。助蔵はこのまま屋敷に帰れず、獣に食われて一生を終えてしまうという想像をしたら涙がボロボロ出てきた。
 急に、顔の真横を何かが横切った。丁度目の前にあった木に細長いものが刺さる。
 「ひぃぃいいいいいいいいいい……矢、矢がぁ……」
 良く見ると、小指ほどの小さな矢に紙がくくりつけてあった。
 ”ハ ハ ハ この泣き虫野郎が”
 「三希様ーーーー!!」
 助蔵は矢が来た方向を思い切り向いた。そこにはお腹を抱えて大爆笑している三希の姿がいた。必死に袖で拭いて涙を隠し、三希に近づく。
 「きゃはははは、ほんっと助蔵はアホだね。ずっと近くにいたのにどんだけ方向音痴なの」
 「三希!からかうのもいい加減にしてください」
 「からかってませーん、あそんでるんですぅ」
 「もっと性質が悪いです……」
 「あーん、なんか言ったか?」
 「いえ、なにも」
 「よろしい。そんなに怖かったの?助蔵くーん。泣いちゃってさ」
 「泣いてません!」
 「ぷぷぷぷぷ」
 顔を真っ赤にする助蔵の頬を三希は人差し指でつついた。
 「そうそう、何度も言ってるでしょ。二人でいるときは”様”禁止、敬語も禁止!」
 「そ、それはだめです」
 「なんで」
 「三希様の父上に……雲海様に殺されます」
 「はぁ?あのクソ親父に助蔵を殺させなんかしないよ」
 助蔵は山の空気が急に冷え込んだ気がした。三希に父、雲海の名は禁句。すっかり忘れて口に出した時には三希の機嫌は一気に悪くなり、気が済むまで八つ当たりを受ける。助蔵は思わず生唾を飲んだ。
 「まあいいわ、その心配も全部明日から忘れられるか」
 明日は4月1日。三希と助蔵は青龍学園忍科入学する。青龍学園は6歳から18歳まで小中高一貫の学校である。学科は忍科、占科などがあり、将来日本を影で支える特殊技能を持った生徒達が通う学校だ。三希は東雲家という歴史や由緒のある家系なので、12歳までは蜘蛛霧流のしきたり、忍術などを学びそのあと青龍学園へ編入する流れとなる。
 「どれだけ強いやつがいるのか楽しみだわ。荷物の準備は済んだ?」
 「大体は……あとは三希様の下着だけです。半分はスーツケースに入れたのですが全て入れると蜘蛛霧の里に戻られた時困るかなと思いまして……」
 「はい、あんた今なんて言った?」
 「え?ですから、下着を半分……」
 「私の下着に触れたのかぁぁああああ」
 「ひぃいいいい」
 三希は少し顔を赤らめさせながらしれっと答える助蔵めがけて、袖の中にある隠し武器から小さな針を飛ばした。助蔵は寸でのところで避け、針は真後ろの木に綺麗に刺さった。
 しかし、三希の動きが少しばかり早く、助蔵の頬にかすり傷を作り血が少し滲んだ。
 「あ、解毒しないと死んじゃうかも」
 「へっ……」
 「うっそー」
 「もう、本当にからかうのはやめてください!」
 「何言ってるの?エロ魔人を退治したまでですぅー正当防衛ですぅー罰として、今日の夕飯の時、私と喋る時はタメ口、呼び捨で私と話をすること。もちろん父上の前で。いいね」
 「…………」
 「返事は?」
 「はい…………」
 
 ———その日の晩、東雲家の食卓。
 30メートルも伸びている畳部屋に東雲家、付き人、蜘蛛霧衆幹部らが二人ずつ面と向かい合い並んで座っている。その後ろには付き人が一人ずつ座っている。
 使いのもの達が素早く食事を運んでくる。食事の内容は鯛の煮付け、お味噌汁、漬物、ご飯、きんぴらごぼうなどザ・和食が並ぶ。
 上座に座った三希の父、東雲雲海が袴姿で堂々と立ち上がり参加者を見渡した。
 「本日は三希の青龍学園入学前夜にお集まりいただき誠に感謝する」
 近くに控えていた使いの者達が手際よくお酒を注いだ。雲海の杯には三希の母、楓が注ぐ。
 「本日はささやかながら楽しんでください。乾杯」
 静かに杯を上にあげ一気に飲み干す。
 そのあとは続々と雲海のもとにお酌をしに人が集まった。
 退屈、早く部屋に帰りたい。作り笑顔、疲れちゃったなと、三希は思った。後ろを振り向くと助蔵がご飯を片手に黙々ときゅうりの漬物を食べていた。付き人のご飯は本家に比べてとても質素で、メインの魚はアジの開きだ。
 「助蔵、にんじん嫌いだったわよね。あげる」
 「…………」
 助蔵は思った。こんな厳粛な場でタメ語で喋れるわけ無いと。
 三希は細く刻まれたきんぴらごぼうに入っているにんじんを器用に助蔵の皿へ持っていく。助蔵は「やめてください」と言いたいのだが喋ると「タメ口・呼び捨て」をやらなければならず、かといって雲海様の前で、蜘蛛霧衆の幹部達の前でそれをすればどんな罰が下るか恐ろしくてならず。助蔵は結局、食事中は黙ろうと決意した。
 三希はそれが面白くなくひたすら助蔵に嫌がらせをし続けた。
 「すけぞうー好き嫌いしちゃだめだよ」
 「…………」
 「ちゃんと口に入れなきゃ私が入れてあげる」
 「…………」
 「もうなんか言いなさいよ。つねるよ」
 「っ…………」
 「ちっ……さては助蔵、今日話さないつもりだな」
 「…………」
 「つまんない。部屋に帰ろうかな」
 「…………」
 「はぁ、もう分かったよ。明日からでいいから、喋りなよ。退屈で仕方が無い」
 「本当ですか?」
 「はいひっかっかったー!タメ口ね」
 「…………」
 「ごめん、助蔵。冗談冗談」
 「ふぅ……そろそろ怒りますよ」
 「そう言って怒ったの、過去あったっけ?」 
 三希は無邪気に笑った。助蔵はつられて笑いそうになったがさっきまでの三希の行いを振り返り、必死に笑うまいと我慢した。
 「あれー助蔵、怒ってる?」
 「当たり前です」
 助蔵は三希から思い切り顔をそらした。でもなんだかんだ言って助蔵は三希に甘いのだった。幼い時に両親を亡くし雲海に引き取られた助蔵は同い年の三希とまるで幼馴染のように東雲家の屋敷で過ごした。
 そのため、もちろん雲海が三希に可愛がっていたポチをわざと殺させた事も知っている。
 いずれ人を殺すための訓練———と助蔵は雲海から説明を受けていた。
 しかし泣きじゃくり、実の父へ恨みを積み重ねていく三希やそうなると分かりつつもあえてそうする雲海を見てとても心苦しく思う。
 付き人はただ見守るしかないのだ。


 
 
 「三希様、三希様。起きてください。出発の時間ですよ」
 「あー……助蔵、おはよう。もうそんな時間?全然寝てないよ」
 部屋には全く光りが入っていなかった。三希は近くに置いてある時計を見た。時刻は午前3時。
 「おやすみなさい」
 三希は布団を被りふかふかのベッドに横になった。二度寝は人類最高の贅沢なんてことを思った。
 「三希様!早くしなければ、皆さん起きてしまいます。すんなり家を出れなくなります」
  東雲家のしきたりに「家を出る時、入る時は人目のつかぬまに」というものがある。
 そのしきたりに従い、東雲家に住むものたちは皆、広大な屋敷を一歩でも出ようとする者に容赦なく戦いを挑む。それは長の直系であっても例外は無い。
  「早く!行きますよ!荷物はもう学園に送ってありますから、着替えてください!」
 「あーい、分かったから外出てて」
 助蔵は部屋の外へ放りだされた。三希はパジャマを脱ぎ捨て、助蔵が用意した黒い忍装束を身に着けた。光のない闇道を動くのに黒は丁度いいと三希は思った。
 「助蔵、行くよ」
 「はい」
 三希と助蔵はつま先から着地して音を立てずに歩き、部屋を出た。ここは三希専用の離れなので、いたとしてもお世話係の人が数名。息を殺して起こしさえしなければ難なく抜けられるはずだ。
  「三希様、眠り薬まいておいて正解でしたね」
  すぐ後ろについてきている助蔵が小さく言った。音を立てるなと、三希が助蔵をにらむ。姿は見えないが三希が怒ってると感じ「すみません」と口だけ動かした。
  階段を降りたらすぐに扉がある。お世話係の部屋は横切らないのでよほどの事が無い限り大丈夫、と三希は確信した。
  「助蔵、このまま一気に外へ出るよ。音は立てるな」
  「はい」
  三希は足を素早く前へ前へと動かした。助蔵も後ろにぴったりついていく。真っ直ぐ下に繋がっている階段を下り、ドアの横にある下駄箱に移り身を隠した。お世話係が起きる気配は無い。三希はドアノブを慎重に回し、開く。慎重に外へ出た。外の冷たい空気が頬を刺す。上、横、見渡したが罠や人の気配は無い。とりあえず玄関は大丈夫そうだと三希は息をなでおろした。
  「なにも、ありませんね」
  「うん」
  「出口まで20mといったところですが」
  「油断しないで。あいつがこのまま出してくれるはず無いから」
 「雲海様ですか」
 「ええ」
 慎重にあたりを見渡す。東雲家を出る大きな門までは三希の父母が住んでいる母屋を横切らなければならない。きっとあいつが仕掛けてくるのは門前だと三希は思った。
 助蔵は懐に忍ばせた暗視用ゴーグルをかけ、すぐ目の前にある塀をみた。薄くて良く見えないが赤い警戒線が張られているのがわかる。
 「三希様、塀はだめです。びっしりと張られてます。手をかけた瞬間アウトでしょうね」
 「じゃあ門をくぐるしか無いみたいね」
  二人は生唾を飲んだ。
 「助蔵、転ぶんじゃないよ」
 「は、はいっ」
 三希にも分かるくらい助蔵の声は枯れていた。
 「もう、肝心な時に頼りにならないんだから」
 手際よく警戒線を見つけて一瞬でもかっこいいなと三希は思ったが口に出さないことにした。丁度、強い風が吹きはじめた。桜の花びらが舞い上がる。
  「いまだ、いっくよー」
 地面を一歩ずつ着実に踏み、前へ進む。
 「助蔵、この辺罠あるから気をつけて」
 三希が言った傍から助蔵が踏み込んだ足からカチッと乾いた音が聞こえた。三希が行く先にあるはずの地面が跡形も無くなり地下へ続く暗い穴がぽっかり空いた。急に止まれず三希と助蔵は落ちるギリギリのところで踏みとどまった。
 「もう!気をつけてっていった傍から……」
 「ご、ごめんなさい…………」
 三希はこぶしを振り上げ助蔵の頭を小突いた。涙目になって三希を見上げる助蔵。
 落とし穴は門から三希達のいる場所まで続いていて距離にしておよそ10m。門の近くギリギリまで近づこうとしてもご丁寧に半円状に穴が掘られているので何も掴む場所の無い壁を伝うしかない。
 「うーん、どうしよう」
 「三希様、手持ちの忍器で使えそうなのはクナイ、縄、手裏剣、小刀くらいですかね」
 「クナイに縄をくくりつけて投げて刺すか……いや、多分はじかれちゃう。その音でみんな間違いなく起きる。せめて鍵縄があれば良かったんだけどなぁ……」
 三希は穴を越える方法を考えるも、なんだか腑に落ちなかった。
 「ねぇ、助蔵。ここの穴、こんなに大きかったっけ?」
 「そういわれてみれば、変ですね……僕が鍛錬で何度も罠に引っかかった時はこんな大きくありませんでした」
 「なるほどね……って何度も引っかかってるなら見抜きなさいよ!」
 三希は助蔵の頭をグーで思い切り殴った。助蔵は頭を抱え涙目になる。
 「助蔵、本来の穴の大きさ教えて頂戴」
 「大体門から1.5mといったところです」
 「オーケー。じゃあ、ギリギリまで走って飛ぶよ。」
 「ええっ、三希様……ちょっ」
 「つべこべ言わない!」
 三希は助蔵の手を取り思い切り門に向かって走った。暗く底まで続いている穴にいるはずなのに体はまだ地面を走っていた。やっぱり幻術かと三希は思った。こんな事出来る人は東雲家でひとりしかいない。
 「飛ぶよ」
 三希は短く言って三希は門ぜん1.5mギリギリのところで思い切り踏み込み、飛ぶ。綺麗に着地して東雲家の門をくぐる事が出来た。
 「助蔵、早く行くよ」
 後ろを振り返った瞬間、助蔵が穴と地面すれすれのところに足をかけバランスを崩し穴の中へ落ちようとしている姿が見えた。三希は反射的に体が動きギリギリのところで助蔵の手を取り、思い切り引き寄せる。
 「はぁ……はぁ……三希様、ありがとうございます」
 「ほんとあんたは期待を裏切らないんだから……心臓いくつあっても足りないっつーの」
 「すいません……」
 「早く行くよ。絶対近くにいるから」
 「え、誰がですか?」
 「幻術使いのあいつだよ」
 絶対にいる。あんな大規模な幻術を使えるのはあいつ—東雲雲海しかいない。きっとどこかに隠れて見張っているに違いない。さっき二人が幻術の領域の中に入り、いなくなったのでそろそろ動き出すはずと三希は思った。
 「実の父に、あいつは無いだろう」
 どこかから野太い声が聞こえる。三希たちは辺りをくまなく探したが雲海を見つける事は出来ない。
 「幻術と見抜いてよく勇気を振絞って穴に飛び込めたな。しかし気を抜くな」
 これだけ言って三希の父、雲海は気配を消した。
 何のつもりで中途半端な幻術仕掛けてきたの?邪魔する気なら本気でやればいいのに。三希は父に対し腹が立って仕方が無かった。
  「助蔵、行くよ」
 「はいっ」
 青龍学園までは12時間ほど走りきってようやく夕方に到着する。夜の山道を走りたくないので三希は急いで東雲家を後にした。

 「行きましたね」
 「ああ」
 楓は寝室のふすまを開けた。三希達が飛び越えた穴が朝日に照らされている。
 「ほんと、あなたは三希に甘いんですから」
 「そんな事は無いつもりなんだが」
 ふふふ。と楓は上品に笑う。
 「三希がどう成長するか見ものですね」
 「きっとお前の様ないい性格になって戻ってくる」
 「あら、それはどういう意味ですこと?」
 「いやなんでもない」
 楓はふすまを閉めた。雲海のいる布団にもぐりこみ手を優しく握った。
 「あなたは孤独とお思いかも知れませんが、ずっと私がついてますわよ」
 「…………」
 雲海は何も答えず、ただ楓の手を握り返した。

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