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第一話 悲しき一族

 「やった!父上、みてください!」
  「おお、真ん中に命中だ。三希は優秀なくノ一になれそうだ」
  三希の父、雲海は三希の頭を優しく撫でた。三希は嬉しそうに笑い手裏剣をぶんぶん回している。
 「こらこら、刺さるから振り回さない」
 「はーい」
  東雲三希、五才。代々続く忍者一家、東雲家の三女だ。
  東雲家とは、鎌倉時代から時の大名に遣える忍者衆、蜘蛛霧衆の長一族である。
  その歴史は長く、時代が移り変わっても絶えることを知らない。蜘蛛霧衆は主を限定せず、対価さえ払えばどの大名にもつくため時の大名が変わっても中立の立場にいるため滅ぼされる事が無かった。だから800年以上続く忍者一家として存続している。
 もちろん、忍術の評判も高く徳川お抱え忍者の服部半蔵ですら太刀打ちできなかったといわれている。
 平成の今になっても伝統は引き継がれている。主なクライアントは日本政府、財閥など対価を支払える時の権力者だ。戦の無い現代、受ける仕事は情報集めが多く暗殺業は基本的に禁止とされている。しかし、それは蜘蛛霧衆のごくごく一部の一族が担っており、長である東雲家は第一線で活躍している。
 だから三希の様に五才から徐々に訓練を受け始め、ゆくゆくは暗殺も行う忍となる。
 この手裏剣業は三希が忍者への一歩を踏み出した証。これから厳しい修行と訓練が待ち構えている事をまだ幼い彼女は知らないのだ。
 「あなた、三希の腕はどうでした?」
 「お前に似て、すばらしいくノ一になりそうだ」
 「あらそれは幸先よろしいわね」
 シンプルに彩られたデザインの中にさりげなく金粉が混ざった扇子を優雅に仰ぐ三希の母、楓は扇子に劣らないくらい絢爛豪華な十二単を着ている。
 東雲家当主の妻は代々、先代の妻がこしらえた十二単を着る事がしきたりになっている。
 春夏秋冬毎日だ。冷暖房設備の整った現代では真夏でも冷たい風にあたれるが50年前までの当主の妻じゃなくて良かったと楓は思った。
 まだ春なのに汗がじわりと出てくるのが本当に心地悪い。
 「じゃあ、早いうちにやるのね」
 「ああ。今が一番いいタイミングだ」
 「辛いわ……早々に反抗期が起こるかしら」
 「東雲家に生まれたからには必ず通る道だ。耐えろ」
 「ええ」
 楓の目から自然と涙がこぼれた。それを見た雲海は自分の袖で楓の涙を拭った。
 楓は「お袖が汚れます……」と雲海を止めようとするが涙が止まるまで拭った。
 「お前には私がついている。安心しろ」
 「はい、ありがとうございます」
 「母上、母上!三希、手裏剣真ん中にあったのです!」
 「三希、偉いわね」
 庭で訓練をしていた三希が手裏剣をぶんぶん回しながら楓と雲海の元へやってきた。
 楓は必死に笑顔を作る。
 「こら、振り回すなと言ったろう」
 「はーい」
 こんな微笑ましい光景もあと数日で終わると思うと、楓の目からまた涙がこぼれそうになった。しかし、雲海の袖を汚してはいけないと思い、必死に堪える。
 
 「父上っ、今日は何の修行ですか?」
 時間は昼間、しかし折り重なる木々のせいで視界が暗い山奥。雲海は何も語らず三希を闇の中へ導いた。三希は慣れない山道を息を切らせながらもギリギリ父に付いて行っている。腕、足、顔が時々枝に当たり小さく傷がつき血が滲んだ。痛くて足を止めたいのだが父は山に入って一度も振り向いていない。少しでも足を止めると置いて行かれる。その恐怖の方が大きかった。
 真っ暗な道をひたすら進むと、足首ほどの高さしかない草が集まった広場のような場所にたどり着いた。
 やっと父の足が止まる。
 「三希、よく付いて来れたな。今日の修行はここで行う」
 「はいっ……」
 息を整えてやっと返事をする。喉の奥が狭くなりそれに呼吸をじゃまされ、更に苦しい。
 「もうすぐ、お前の匂いを嗅ぎつけた獣がやってくる。殺される前に殺せ。私は先に家に帰っている」
 それだけ言い残して雲海は真上の木に飛び乗り姿を消した。
 三希に不安と恐怖が一気に襲いかかり、足が震えた。風が容赦なく汗で冷えた体の熱を奪っていく。
 出かける時母から貰った短刀を鞘から取り出し、両手で固く握り締めた。手も震えている。草がかすれる音が辺り一面鳴り響く。獣の足音を聞きたいのに、邪魔をする。
 三希は小刻みに足を動かし360度見渡し、命を狙う獣を探した。
 極度の緊張と足を常に動かし続けているため、息がさっきよりも荒くなる。
 丁度真後ろから大きく草が動く音がした。下に落ちていた枝が何本も折れる音が聞こえた。
 獣だ……
 三希は確信した。ゆっくり気付かれないようにだが確実に私を狙って近づいているものがいる。
 「殺される前に殺せ。殺される前に殺せ。殺される前に殺せ……」
 念仏の様に父から言われた言葉を三回唱えた三希は音がした真後ろへ走り、短刀を振り下ろした。鳴き声が森の中へ響く。必死に三希から逃げようと足を動かし、草を掻き分ける音が聞こえた。
 膝を地面につき、呆然と横たわった見覚えのある獣に涙を流す三希。
 「どうして、なんで……ポチがここにいるの」
 お腹を切られ痛そうに小さく鳴いた。息も荒い。しかし、ポチはお腹を切った本人である三希の手を優しく舐めた。
 どうして気付かなかったのだろう。なぜ確認しないで切りつけてしまったのだろう。
 ポチ、ポチ……ごめんね。もう助からない、傷の深さから三希はそう思った。
 これ以上、痛がるポチを見ていられなくて三希はまた短刀を振り下ろし、一思いに命を絶った。
 「ポチ……ポチ……」
 三希の目から大量の涙がこぼれた。ポチを殺してしまった。生まれた時から一緒で、散歩の時は毎日背中に乗って仲良く野山を駆け巡っていたのに。大きいからだにふさふさの毛並み、気持ちが良くて毎日抱きついていた。そんなポチを私は殺してしまった。思い出が頭の中を走り、後悔の気持ちでいっぱいになった。
 三希は血だらけのポチを抱きかかえ、涙が枯れるまで声を出して泣いた。そして疲れ果て、その場で眠り込んでしまった。
 「三希、三希。眠ってしまったか」
 ずっとその様子を木の上から見ていた父、雲海が地面に降り三希をポチから引き剥がした。
 「ポチ、ありがとう。三希は絶対強くなるからな」
 地面を掘り慣れた手つきでポチを埋める。
 「さて、これでもう私の事を信じる人は誰も居なくなったな」
 三希を優しく抱きしめる雲海。
 「父というのはどうしてこうも悲しいものなのか」
 三希を抱え山を降りる雲海の背中は誰が見ても哀愁が漂っていた。

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